社会人ドクターへの道のり 2

2011年、東日本大震災の混乱が残る中、都内の大学の化学系学科に入学しました。学部3年生までは、サークル中心の生活でした。毎週の学生実験とレポートは大変でしたが、テスト前以外は一生懸命に勉強した記憶はありません。意欲の高い学生ではなかったように思います。

学部4年生になり、研究室配属となりました。授業や懇親会で優しそうな印象のあった教授の研究室を選びました。化学工学が専門でした。

学部4年の夏頃、修士課程に進学しようと思い、大学院の試験を受験しました。例年、8割以上が修士課程に進学していましたので、進学が当たり前といった感じでした。3年生までの成績が良かった人は面接のみの試験でしたが、私は成績が悪かったので、筆記試験も受けました。専門教科はあまりできなかったのですが、英語が良かったので、なんとか受かりました。専門教科のできなさに指導教員には怒られました。

秋頃、来年度から修士・博士一貫課程が新設されるということで、試しに面接試験を受けてみないかと指導教員に言われました。若かった私は、『君は研究者に向いている』という指導教員の言葉を鵜呑みにしました。さらに無償の奨学金がもらえるということで、お金が大好きな私は意気揚々とプレゼンの準備をして、試験に臨みましたが、面接官にボコボコにされ、無事に不合格となりました。おそらくその試験に落ちた人はほとんどいなかったので、少し落ち込みました。博士課程に進学することはないだろうなと思いました。

年が明け、卒論発表を行い、無事に卒業しました。そして、宙を舞う桜の花びらとともに、同じ研究室で修士課程に進学しました。つづく。