社会人ドクターへの道のり 3

修士に進学したときに、同じ研究室でしたが、好きなテーマで研究していいと指導教員に言われたので、好き勝手やり始めました。分析機器も所属研究室になかったので、いろいろな研究室に装置を借りました。このときにはサークルでのつながりが大活躍しました。国内外でもあまり例のない研究でしたが、不思議と上手くいき、修士1年の終わりにある発表では、全体の2番の成績でお金ももらえました。このとき、指導教員にJSPSのDC1があるから出してみないかと言われました。そのへんの知識はあまりなかったので、とりあえず書いてみようと思い、なんとなく書き始めました。並行して、ひとまず髪の毛を黒く染めて、就活も始めました。当時はたしか3月から会社説明会等が解禁だった気がします。売り手市場だったこともあり、5社くらいから内定をもらいました。偉い人と話せたり、会社のおかげでいろいろなところに旅行に行けたりと楽しかった思い出があります。大企業を中心に、指導教員による推薦状が必要な企業も多く、進学と迷っていた私はそのような企業はスキップしました。結局、推薦状のいらない中堅化学メーカーの内定を承諾し、就活を終えました。秋ごろ、DC1の結果が返ってきました。結果は不採用。ちょうどその頃、指導教員が病気を患い入院していたこともあり、研究室全体の行き詰まりを感じていました。指導教員ひとりに振り回されるのは組織としてかなり弱いと感じ、進学ではなく、ひとまず就職してみると伝えました。その頃までにいくつか論文を投稿しようと準備していましたが、指導教員の体調不良もあり、1年近く滞っていました。その負い目もあったためか、『わかった、入院していてあまり相談にのってあげられずに、申し訳ない』と指導教員に言われました。そんなことはない、自分の体調だけを考えればいいのに、この人は研究者としてはわかりませんが、人柄は良いなと再確認しました。そして、そのまま修論発表へ。最優秀発表賞を受賞し、学生支援機構の奨学金も全額返済免除をゲットしました。最高の幕切れだったと思います。研究室での最後の飲み会で、指導教員に『いまは社会人ドクターという手もあるから、よかったら戻ってきて』と言われました。若かった私はもちろんその言葉を鵜呑みにしました。つづく。